takakazuのブログ

家庭菜園と、趣味での小説

鞍馬龍二 その32

エンジンの唸る音の割にはスピードの出ない車の中だが、将来の夢を語り合う夫婦には最高の空間であった。ラジオでは松田聖子の赤いスイトピーが流れていて、澄子が合わせて歌っている。龍二はニコニコ笑ってそれを聴いている。
やがて田舎道の正面に深緑色した小高い山が見えてきた。ここからは茂みに阻まれ家は見えない。山道はわりと傾斜がなだらかでポンコツ車でもセカンドギヤーに時々入れる程度で登って行けた。ブナや檜の間を車がどうにか通れる程の道が、山に沿って螺旋状に作られている。やがて山の頂上に着く。ポツンポツンと寂れた家と云うより小屋と云う方が当たっていそうな住居が建っている。檜の大木からの木漏れ日が太く細く降り注ぎ、神秘的な様相を映し出している。住居の中でも一番大きくてしっかりとした造りの家の前に車を停めると二人は玄関に向かって歩いていく。
玄関で声を掛けると、祐蔵はすぐに出てきた。無愛想な父が珍しく柔らかい表情で出迎えたので、龍二は心の中で(こんな顔、することもあるのか~)と、少し驚いた。
「よくこんな山奥までいらっした。男手ひとつで汚い処だけどお茶くらいのんでいっておくれ。おお~、随分おなかも出てきて~。澄子さん無理しちゃいかんよ。」と澄子には満面の笑みである。(親父も年老いたな)とそういう所から感じる龍二であった。
6畳の居間の中央にテーブルが用意されていて祐蔵はそこに座るように言うと台所に消えた。澄子は「よっこらしょ。」と座って(はっ!)と気付き「お義父さん。お茶、私が入れましょうか?」と、台所に向かって声をあげた。「いー、いー。お客さんはゆっくり座っとったらいい。」祐蔵の声が奥からした。二人は顔を見合わせ、クスッと笑う。やがて盆に急須と湯飲みをのせて祐蔵が現れ、それを受け取った澄子が湯飲みにお茶を注いだ。澄子は山の生活に興味を示し、祐蔵を質問攻めにあわせ、それに応える祐蔵と補足する龍二。時が止まったかのような山でのひとときの中に三人の笑い声が聴こえる。祐蔵にしては、最近久しく無かった笑顔であった。
「ところで春蔵の店に荷を卸に行ったら、龍二からの伝言で赤ん坊の名付け親にといわれたから早速色々考えてな。」山には電話線が通ってないので、いつも情報交換は『響』の店でしている。「済みませんお義父さん。勝手なことお願いして。」にこにこして澄子が言う。「な~に、死ぬほど時間はたっぷりある。孫の名前を付けさせてもらえるなんて本当に有り難い事だと、色々考えていてこの数日は実に楽しかったよ。」そういう祐蔵の言葉に「今日は楽しみにして来たんですよ。」と澄子が笑って応える。祐蔵は立ち上がって別の部屋に行き一枚の半紙を持ってきてテーブルにそれをそっと置いた。半紙には墨で縦書きに名前が二つ。『疾風丸』、そして『凜子』。「男なら疾風丸、女なら凜子に決めた。」
二人は達筆で書かれた二つの名前をじっと観ている。「父親の名前が龍二だからな。龍は風に乗って空を駆けあがる。また、風は龍の力によって生み出される時もあるとの想いでな。」「うわ~お義父さん、すごいです。私、この名前かっこいいと思います。凜子もとても良いですね。お義父さんに頼んで本当によかった。ねえ龍さん?」龍二も嬉しそうに頷きながらながら「親父もわりといいセンスしてるんやな~」と少し冷やかし気味に言いながらも嬉しそうである。