takakazuのブログ

家庭菜園と、趣味での小説

伊藤君の大誤算・その17

伊藤は少しイラついていた。店長の大学生時代の話はいつまで続くのかと。祖父の偉大さは赤の他人に言われなくても俺はよ~く解っている。今は時々しか会う機会がないが、幼少の頃はとても可愛がってもらった。祖父から直接仕事の話なんか子供の自分には話すわけがなかったが、両親から事ある毎に偉業を聞かされ育ったからだ。大人の世界の話なんか幼子が聞き入れるわけがないと思うかの知れないが、伊藤は大好きなおじいちゃんの話が聞きたくてよく両親にせがんだものだ。だから、店長の話を制せず黙って耳を傾けている。
「普通なら『ふ~ん』で雑誌を閉じて終わるんですが、時計を見るとまだ昼前でした。おとなしい性格の私でしたが若さがそうさせたのでしょう。(今からそのスーパーに行ってみよう)と思い立ったのです。本当に衝動的に、でした。電車を2度乗り換え、バスに乗って2時間掛けてやっと着いたのです。
店に入る前からワクワク、ドキドキしましてね、こんな気持ちで来店する客なんか多分当事の自分位だと今でも思っています。」店長は少し恥ずかしげに伊藤に笑い掛けた。いや、今の自分に笑い掛けていたのかの知れない。伊藤もつられて小さく微笑んでいる。
「雑誌からの先入観も手伝って、自分の目には、なにもかもが良く映りました。いつまでもこの店に居たい、この空間に浸っていたいと思ったのです。なにも買い物をしないのにですよ。それから夕方まで、店内をただ観て廻りました。学生ですから無駄なお金は使えませんからね~。自販機でジュースを一本買って隣にある長いすに座り、ぼーっとしたり・・・。本当に落ち着ける・・・というか、そこで自分を取り戻せた気がしたんです。他人が聞けば『そんなばかなこと』と思われるかも知れませんがね。それからというもの、辛いことや苦しいこと、逆にとても嬉しいことがある度に、2時間掛けてマルサンに出掛けました。働いている従業員の顔も無意識に覚えてしまいました。そしていつしか、自分がこのスーパーで働く姿が目に浮かんできて、それはどんどん膨らんできたのです。それは、いままで夢も希望も持てなかった自分が始めて持てた・・・そう、目標となったんです。」店長は少し伏目がちに神妙な顔をして、又、口を開く。「『人は大人になればお金を稼がなければ生きてはいけない。その食い扶持のための選択肢の1つとしてそのスーパーがあるというのは分るが、お前みたいにスーパーに就職ありきという者は珍しい』と、両親は笑ってましたよ。でも反対はしなかった。真っ当な仕事に就いてくれさえすればそれで良いと思ったのでしょうね。」「ですが、世の中の流れはどんどん変化していきます。私が浸っていた居心地の良かった空間も、少しづつ変わってきた。いつも同じ処に居ましたからそれが分るんです。・・・空気が変化する?っていうか・・・。従業員の表情にも変化があって、笑顔が少なくなってきたんです。そして、ようやくある情報によってその訳がわかりました。社長が体調不良の為退き、その息子さんが新社長となったと知らされたのです。経営方針ががらりと変わりました。それが、客である自分にも感じ取れたんでしょうね?前社長の根差す堅固な地盤があるから例え古くなっても崩れないという思想が新社長が就いてから日を追うごとに変わっていったのです。