takakazuのブログ

家庭菜園と、趣味での小説

月光の剣・その2

不満顔の昭雄に気付き橘が声を掛ける。「どうした、青年!何か言いたいことありそうだな?」昭雄は「いえ・・・。ファンを騙すというのはどうかと・・・。」歯切れの悪い口調で遠慮気味に昭雄が言う。「騙す?騙してなんかいないさ。美鞘ちゃんは今日採用されて出演するキリクノ隊の新メンバーだ。まあ、紹介は抜きだが、客が由真と思い込むか新人が出ていると思うかは自由だからな。新人の美鞘は喉の調子がいまいちだから、今回は口パクで行く。時としてこういう事態はあり得ないことではないのさ。」すごく強引な説法で煙に巻き、その言葉で皆の迷いを払拭させた。メイク係は、幸いにしてよく似たズラも「ズラじゃない!カツラだww」・・・--;持参していて、メイクが終わって振り返った瞬間、皆は驚きの声をあげた。マネージャーの高畑でさえ「これは・・」と言ったきり 絶句した。そしてハッと気がついて「こんな所でゆっくりしているわけにいかん! 早くステージに戻らなきゃ~!」皆も我に帰りバタバタと大急ぎで楽屋から出て行くので あった。
ステージに向かう通路を、メンバーと共にわき目も振らず歩いていく。いよいよ上がるのだステージに。 臆している暇はない。胸の鼓動が激しくなり、息が詰まりそうになるが、無表情を装い既にスタンバイしている奏者達の前を足早に駆け抜ける。 目の前であのアクシデントを見ている彼らは皆一様に驚愕の表情で見とれている。 口外される事を懸念して、彼等には事情を告げていないのだ。歌声だけを録音で流す。スタッフはプロ中のプロ。信頼できる。後は彼女達の演技に かかっている。 マネジャーと振り付け師が配置を指示し、美鞘は中央に立った。目の前にはカーテンがあり その向こうには満席のお客さんがこのカーテンが開くのを今か今かと待っているのだ。司会者が、閉まっているカーテンの端に立ち、スポットライトを浴びた。「皆様、お待たせ致しました。さ~、ただ今よりキリクノ隊の最新曲『月光の剣』初披露です!この曲をこの会場で一番最初に聴けるあなた達は、何と幸運なことでしょう!ご期待ください!」そう言ってカーテンの裾に退いた。
誰かが『キーリクノ!キーリクノ!』と手拍子を打って声援を送ったのを切っ掛けに あっという間に会場全体に広がっていった。その声をカーテンを隔てて聞きながら 美鞘は(よ~し気合を入れて頑張ろうー私!)そう自分に言い聞かせて大きく深呼吸 をした。その時カーテンの裾が静かにゆっくりと開いて行きそれに伴って津波の様な声援と 熱い視線が暗い観客席から押し寄せてきて美鞘の小さな身体は、この波にのみ込まれ てしまうのではないかと思うほどの錯覚に捉われた。しかしそう感じたのも一瞬で 数秒後には両手を大きく広げ、眩しいばかりの笑顔でこの波を全て受け止めようとしている美鞘がいた。(私は、私。精一杯頑張ってこの声援に応えよう!) 彼女のテンションは自制できないほど上がってきた。《やばいんちゃう?》